; oi: 韻を踏むべきなのか?〜「声に出して読みたい韻」を読んで〜

2016年1月10日日曜日

韻を踏むべきなのか?〜「声に出して読みたい韻」を読んで〜




概要

様々なヒット曲を例に挙げて、韻とは何か?どのような韻が良い韻なのか?どのように韻を踏むのか?を著者自身の豊富な経験に基づいて読みやすくまとめた一冊であった。韻について知らない人から、韻の勉強をこれから始めたい方に最適の一冊だと思う。

読んでみて、学んだことと想ったことをいくつか述べる。

韻の善し悪し

本書はまず初めに以下のような良質な韻の特徴を挙げていた。
 ・共通の母音の文字数が大きい
 ・同じ母音の文字列の回数が多い
 (イメージとしては、ゲーム「ぷよぷよ」を想像すると良いように想う。一度に消す数が多い、連鎖が多いとスコアが増加するので。)
 また、さらに以下ができると良い韻といえるようである。
 ・韻を踏む品詞や言語が異なる
 ・汎用性のない言葉で韻を踏む
 
 これらをまとめてみると、
 筆者の考える良質な韻とは、以下の性質を持つものといえるかもしれない。
 ・誰にでも作れる訳ではないという、困難性
 ・今まで作られておらずオリジナリティを含むという、新規性

言語による韻の踏みやすさの違い

日本語と英語の韻の踏みやすさに言及していたことが、大変興味深かった。
 
 日本語の文は末尾が動詞+助動詞などで終わる場合がほとんどである。
 一方で、英語においては、文末に、動詞だけでなく、目的語となる名詞や副詞など、文型や修飾の仕方に応じて様々な単語が存在しうる。
 それ故、文末で韻を踏む際のバリエーションが英語の方が多く、多様な韻が踏みやすい。

 また、日本語は母音の一致率が低く感じてしまいやすいという問題も存在する。
 これは単語ベースで母音の一致する割合を考えた場合、
 英語は1単語に含まれる母音数が比較的少ないため、母音が一致していると、単語全体が一致していることが多い。
 例えば、英語の「me(いー)」と「she(いー)」は母音で考えた場合、これら二つの単語は100%一致しているということができるのに対して、日本語の「わたし(ああい)」「きみ(いい)」は、各々33%と50%が一致しているだけで、あまり美しさを感じない。
 このように、日本語は単語が含む母音数が比較的多いため、母音全てを合致させることは難しく、単語ベースで考えた際に比較的に一致していないような印象を受けやすい。
 
 このように言語特性によって、韻の踏みやすさは異なる。
 
 日本語が比較的韻を踏みにくいことは、必ずしも悪い訳ではなく、制約が強い分、様々な工夫を重ね、色々な技術が生まれたようである。体言止めを基に、文末の言葉のバリエーションを出したり、言語を股がって韻を踏むことでオリジナリティを出したり、創造は尽きない。
 
 今後、様々な言語で詩に潜む韻に着目してみる価値はある。

韻を踏むべきなのか?

「学校へ行こう」の歴史暗記ラップにて一世を風靡したCo.慶応と筆者の対談(「韻タビュー」)が最後に記されている。

ここにきてやっと、Co.慶応の口から韻を踏むことの意味について言及されている。
実は、本書は韻とは何か?どのように韻を踏むか?などの問いには、丁寧に大変わかりやすく答えられているのだが、そもそもなぜ韻を踏む必要があるのか?についての言及がほとんどない。むしろ、筆者は韻が世の中の役に立つなんて、思っていなかったと記されている。

本巻末対談にて、Co.慶応は端的に「強く印象づける」ためのツールとして、「韻を踏む」ことに注力したと話している。実際、歴史などの暗記モノは語呂合わせなどの想起しやすい方法で覚えていくことが常套手段であり、韻を踏むことによって同じ母音の並びで特徴を覚えられれば、定着率が高くなるということは頷ける。

ここで議論になると思われるのは、「強く印象づける」ためのツールとして、韻を踏むことを捉えた場合、韻を踏むために日本語の語順を多少崩して、韻を踏むために不自然な用語を選択し、韻を踏むために・・・というように韻を踏むことに注力するあまり、日本語として理解しにくくなってしまったり、曲との調和が崩れてしまったりしては、逆に印象づかなくなってしまうことが考えられる。

個人的には、上記の調和を崩さない範囲で、韻を踏むことが出来る良い言葉が選択できた場合のみ、比較的わかりやすく韻を踏むことが、最も効果的なのではないかと考える。カタイ韻を踏むことを目的にして、理解しにくい詩にすることは逆効果の方が大きいように考える。

韻を踏むべきなのか?(再考)

しかしながら、詩の至る所で韻が踏まれているというのは、理解できた場合に、大変に気持ちよく、美しさすら感じてしまうことは事実である。個人的な感覚としては、完全数(その数自身を除く約数の和が自身となる数。例. 28=1+2+4+7+14)に近く、全く無駄がない印象を受ける。
この感覚はアートに近いと考えられ、アートの中でも秩序を持った建造物のようなアートだと考える。母音という制約条件を満たしつつ、全体として、幾重にも重なった厚みのある意味を想起させる。

ということで、韻を踏むべきかどうか、どの程度韻を踏むべきか、は目的によって全く異なるが、「韻を踏む」というテクニックは大変に有用であると考えられる。また、様々なアーティストが「韻を踏む」というテクニックを用いることがあるというのを知ることで、アーティストの表現したい「想い」を理解し易くなることは間違いないだろう。

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