日本酒を味わう会
日本酒を味わう会に参加してきた。各自1本以上の自慢の日本酒(四合瓶/一升瓶)とまいおちょこを持ち寄り、
まいおちょこに注いで、飲んで、味わって、感想を共有しながら、
次々に日本酒を回していく。
今回は30人以上の参加者がいて、一度に40本以上の日本酒を味わうことができた。また、参加者が持ってくる酒は「自慢の」日本酒であり、1つ1つのお酒も入手困難なハイレベルな逸品であるため、大変満足度の高い素晴らしい会であった。
客観的っぽい主観的なコメント
様々な日本酒を味わう中で、自分を含めた参加者は次のようなコメントをそれぞれのお酒について述べていく。- 「甘い/辛い」
- 「キレがある」
- 「酸が強い」
- 「ひねがない」
etc...
「おいしい」「苦手」といったコメントは明らかに主観的なコメントであるので、真偽を確かめることができないし、確かめることに意味がない。
しかし、上記のコメントは一見、日本酒に関する客観的な属性について述べているはずなので、正誤が気になってきてしまう。
実際、共感できるコメントもあれば、疑問を感じるコメントや何を意味しているかわからないコメントも多くあった。
では、なぜこのように理解できないコメントが発生するのであろうか。
解せない理由
例えば、「きんきんに冷えていて美味しい」というコメントであれば、温度に対する情報であることがわかる。
これについて疑問を持つとすれば、「冷えている」というのが絶対的な情報ではなく、あくまで相対的な情報なので、普段から比較的冷たいものを飲んでいる人からすれば、この程度で「きんきんに冷えている」といえるのだろうか、と想ってしまう場合くらいであろう。
つまり、何に関するコメントは理解できるが、その内容が主観的な相対的情報であるため、万人で一致しない場合である。
しかし、「キレがある」「ひねがない」というコメントは、自分のような未熟者からすると、どのような観点についての情報かも正しく認識できない。「キレがある」とは日本酒を口に含めた場合に感じるどの要素がどうであることを意味しているのか・・ということがわからないのである。
まとめると以下のような場合で、コメントが解せない場合がありそうである。
- どの観点/軸の情報かわかる if not 何について話しているのかわからない。
- ある観点/軸の認知/知分解能が同じ if not 感じ方の粒度が粗いため、細かい差異がわからず、細かい違いに関して再現性がなくなる
- ある観点/軸の感じ方の平均が同じ if not 相対的な表現にズレが生じる。
3.については、飲み比べをしながら、前の日本酒に比べてどうこうといえば問題にならない話である。1,2について、もう少し考えてみる。
共通の表現をどのように得るか
通常、生活の中で共通の「ある表現」「ある言葉」を得るためには、その言葉が何を指しているのかが理解できる必要がある。概念としては認識できているが、その概念に共通の名前がないだけの場合は比較的容易に言葉を得られる。(例えば、英語圏の人との共通の表現を得る場合、「犬」という概念を認識できていれば「dog」がすぐわかる。)問題となるのは、概念としてそもそも認識できていない場合である。
「キレがある」という表現を獲得しようとした場合、得る方法は2つあると考える。
1つ目は、メタファーを利用するということである。同様の表現を日本酒の世界に引きずり込んで当てはめるという方法である。例えば、ビールの「キレがある」を認識できている人に、日本酒も同じようなものであることを伝えれば(自分は同じようなものかどうかもわからないが、、)、その言葉を獲得できるかもしれない。
2つ目は、「キレがある」群と「キレがない」群を飲み比べることで、学習する方法である。ある程度の分解能があれば、各要素の違いから、「キレ」のあるなしを認識できるようになると想われる。そのためには、キレがあるものとキレがないものを明示した学習利き酒セットが必要であろう。
最後に、分解能をどのように得るかという問題であるが、これはその分野を絞ってとにかく多く経験することが必要である。特定の分野に絞って、多くを経験すると、その分野の中で違いを見極めるポイントが認識できるようになる。例えば、自分は子供の頃、欧米の方の顔の識別が苦手であったが、ハリウッド映画を見たり、実際の欧米の方と出会う中で、顔の違いがわかるようになった。どこで識別しているかは言葉にできないのであるが。また、識別する必要性(映画のストーリーの把握など)が存在すれば、学習のスピードは加速する。
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