; oi: 歴史の教科書に関する諸問題と対策

2015年7月16日木曜日

歴史の教科書に関する諸問題と対策


歴史教科書の諸問題


私が受けた歴史教育の中で、教材について思い返すと、今更ながらではあるが色々問題があると感じるし、やりようもいくらでもあるように感じる。この記事では、まず問題点を列挙した後に私が考える対策を述べる。

問題1:歴史的事象の時系列的な対応付けがとりにくい

現在の歴史の教科書といえば山川出版社が有名であろう。
以下は、詳説日本史 改訂版(日B012)の「第3部『近世』」の目次の構成である。
 

以下のように、大まかに項目が政治的視点、経済的視点、文化的視点と分かれていることがわかるであろう。


もちろん異なる観点から分かれて記述されていること自体は、一つの流れを理解するのに理解を助けるのであるが、問題もある。それは、時代的な、時系列的な出来事の対応がとれなくなってしまっているということである。



歴史は様々な流れが並行で進み、時には複雑に絡み合って、形成されていくものであり、本来その様々な関係性を対応付けながら理解していく必要がある。

よって、この歴史教科書の構成では、政治、経済、文化の対応付けをとりながら、様々な観点から多角的に歴史を学んでいくことは、一つ一つの流れをしっかりと理解した上で頭の中でそれらの流れを整理できる、ごく一握りの優秀な読み手のみが可能な作業といえるであろう。

問題2:歴史の時間の流れの量感がわかりにくい

歴史の教科書は原則的にページをめくればめくるほど時が経っていくものである。なので、問題1で述べたような観点がかわることによる時間軸的な前後はあるにせよ、基本的に後ろのページが新しく、現在に近い時代の内容となる。つまり、ページの前後で事象の順序関係は、教科書というモノから、ビジュアルかつ感覚的に読み手に伝わるのである。


しかしながら、順序関係は伝わってもどれくらい前かどれくらい後かが非常に伝わりにくいのも事実である。138億年前のビッグバンと46億年前の地球誕生は同じページに記載されているにもかかわらず、第二次世界大戦の終戦までの数日間のイベントは日単位で記述され、数ページに渡っている。


現代の私たちにとって、とても重要な事柄であるから、細かい粒度で記載する必要があるはよくわかるが、細かい粒度で記載することにより、教科書のページとしては多くを占めてしまうため、これによりある程度の時間経過を感じてしまう。


重要なイベントには細かい粒度での記載が必要があるという話と時間間隔に合わせてイベントを記載する(教科書というものから巧くビジュアルかつ感覚的に時間感覚を伝える)という話は本来トレードオフであると考えられるが、これにより歴史上のイベントの時間感覚として読み手に誤解を与えている部分は少なくないであろう。

問題3:歴史上の事実・ファクトと歴史研究者の解釈・通説が混在している

歴史上の文献や史料から読み取れる事実(歴史上のイベント・ファクト)は、ただじっと歴史上に存在する。それらのファクトに対して、仮説を与えて整理・分類することにより、歴史の研究者はファクトにストーリーや新たな解釈を与える。例えば、藤原氏一族が代々摂政や関白になったというのはファクトであるが、これを「摂関政治という藤原氏の戦略があったのだ」と言い切るのは歴史研究者の解釈にすぎない。解釈の仕方としては、「たまたま偶然にしては摂政や関白または外戚になっていることが明らかに多い→何か恣意的な要素がある→政治的な権限を得るためか。」という流れであると推察されるが、これはあくまで仮説にすぎず、「摂関政治」というのは歴史上の事実とは一線を画すものである。

現在の教科書を見てみると、このような当たり前となった解釈や通説は目次レベルにまで記述されている。何らかの解釈やストーリー、あるいは因果関係を以て、歴史上の事実を説明された方が理解が深まる、理解しやすいというはまぎれもない事実であると想われる。しかし、事実と解釈を分けて記述しないと、データや事実を読み取ることと、解釈・説明することが別であるということを理解できない読み手が増えてしまうのではないだろうか。そして、情報があふれる現代社会において、自分の頭でこれらを考える力が、過去よりも増して求められているのではないだろうか。
 

対策:歴史の全体像を同一空間上に表現できないか?


上で述べたような問題点を解決するためには、もはや本というメディアには限界があると考える。本は基本的に「ページをめくる」という作業しか受け付けないのである。一つのストーリーをシーケンシャルに読むには、現在でも最適な媒体であると考えられるが、歴史のような複数の事実とそれの裏にある様々な解釈・ストーリーおよびそれぞれのストーリーの複雑な絡み合いと流れを多角的に理解することが求められるものを表現することは明らかに向いていない。

現代の情報技術を用いて、iPadなどで、空間、カテゴリを跨った時系列的な対応を同一平面上に表現して全貌をつかめるようにし、文献や史料からわかる事実・ファクトと歴史家の解釈を分けて、見える化することが歴史を表現する上で最も理解が進む方法であると考えられる。

具体的には事実をノードで時空間+カテゴリ上にマッピングし、それらの事実をグルーピングしたり、ノード間に因果関係のような関係性がある場合は矢印を追記したりすることで、解釈を与える。このような表現をiPadのような、直感的に操作できる端末上に、3次元的に表現するのである。

歴史から学ぶことはとてつもなく大きいと信じてやまない。しかしながら歴史を学ぶための基盤がたくさんの文献を読む、といったアナログな方法しかないこともまた事実である。以上のような仕組みで歴史を表現することで、大変に理解が進むのではないかと強く感じた次第である。
 

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